お久しぶりです。
前回、妊娠第5週で胎嚢が確認できてから、妊娠9週で稽留流産するまでの時のことを、現在術後12日後。ようやく少し体力気力が回復しつつ、思い返しながら綴っていきます。
ママ友に聞いて、昔から評判の良いクリニックに行き、妊娠12週ごろからは私は帝王切開3回目なので、周産期医療センターに転院ね、という段取りになりました。
予定日は11月末くらいで、帝王切開だったら11月半ばくらいではないか。
まずは心拍を確認してから、9週くらいのサイズで出産予定日を出しましょう。
そういう流れでした。
高齢出産の定義は、初産で35歳、経産婦で40歳以上とのこと。
私は40歳を半年超えていたので高齢妊娠でもあります。
流産とは無縁だった私ですが、Facebookで妊娠した旨、胎嚢が見えた旨、つわりがある旨をを報告すると、少し上のつながりのある方々から、「おめでとう。でも高齢だと何があるか分からないからネ」と言われていました。
何があるか分からず怖い
そうか、高齢だと流産の確率も上がるのね。
今回は予定していない時期の妊娠(作ろうと思っていなかったとき)だったので、いろいろ心構えもなく不意の妊娠だったけれど、調べると妊娠初期の流産率は約15%。42歳だと、8週までに40%が流産。40歳の1周期あたりの妊娠率は5%、心拍が確認できてからの流産は約5%以内ということでした。
6週くらいからつわりと、流産の恐怖が高まり。
6週で胎嚢の中にリングと心拍を確認し、7週で順調な経過を確認し。
これならホッと一山を超えたかな。昔から心拍を確認できれば一安心というもんね、2人ともそうだったし。
そう思っていました。
それでも念のため、子どもたちにも、「ママのおなかには赤ちゃんがいるけどまだゴマみたいなサイズだからね。」「心臓が動いていたけれど、まだ小指の爪くらいなんだよ。だから他の人には言わないでね。」
そんな風に言っていました。
おりしもPTA総会や、個人面談、保護者会が続き時期だったので、先生方から「お子さんに聞きましたよ。ごまちゃんおめでとうございます」なんて声をかけられたっけ。
流産というのはトイレに行ったときに出血があり止まらないものという認識があり、トイレに行くのが怖かったです。でも一滴も出血もなく、そっか、この子は生きようとしているだ、ならば私はそれを受け入れなくては、と思いました。
少しずつ妊娠の事実をオープンに。マタニティマークもつけるようになっていました。
マタニティブルー
8年ぶりのつわりはとてもひどく。
料理もできない、食べたいものもない。食べても吐く、夜も頻回授乳かのように3時間おきに目が覚めてクラッカーなどを食べなくてはいけない。
茶碗を洗おうとすると、下を向くので気持ち悪くなる。夫の匂いに敏感になる。
夫婦別室、夫と息子で一緒に寝てもらってやり過ごしていました。
保険が効かない健診の出費も続き、お腹が出てくるのも早くマタニティ服も早く買わなくてはならず。4月だけで5万円くらいかかりました。
働く時間もブログを書く時間もメルマガも本も書けずともかく寝たり横になったり食べ物について悩む日々。
稼ぐ力は伸びないのに、塾に通いだしたり宿題が増えた上の子たちの世話も十分にできないのに。本当に3人目なんて必要なんだろうか。
私ばかり損をしている。
子どもたちに申し訳ない。
Tちゃんが悪い。Tちゃんが子どもを望まなければ。
「私は子どもなんて欲しくなかったんだ。つわりはつらいし、60歳まで続く育児なんて肉体的にも金銭的にも大変。本当に欲しいならこのストレスを全部受け止めて><」
などと当たりました。
Tちゃんは家事を頑張ってくれて、つわりの辛さも理解してくれていましたが、途中で風邪でダウン。1回の食事の支度もつらかったその頃私は、「こんなにしんどいなら産んで姉に養子で譲るか、中絶して子の妊娠を終わらせたい」そこまで病んでいました。
結婚してからなぜか幸せ太りで増えた体重からのスタートもコンプレックスで、
不安で産院に電話をしたら心療内科に行ったほうがいいと言われました。
そこで昔行った心療内科に行って事情を話します。
その頃は、先生や誰に「おめでとうございます」と言われても全然嬉しくなかった。
嬉しいというよりも戸惑いが多かったです。
そんなふうな辛い思いを誰にも言えず、Twitterにはいていました。
今思うと、この辛いピークの時に、赤ちゃんは成長を止めていました。
分かったのは妊娠9週の検診でですが、8週時点のサイズで成長が止まっていたのです。
薬を飲んで、ふとつわりが少し楽になり、
同窓会もあって。少しご飯やお酒が取れて、あれ?なんか楽しい。
Tちゃんとケンカもしたけど、「なんとかするから!」と心強い!?言葉をもらい、お互い泣いて、ご飯を作ってもらって。仲直りして。
これならやっていけるかな。少しずつ5人家族の未来も見えてきていました。
そう思って、GWの旅行の2日前の検診に臨みました。
相変わらずあまり眠れなかったけれど、平成から令和に変わる瞬間も起きていられて、ああ、体が少し楽になると心も楽になるんだな。そんな風にぼーっと病院に行きました。
まず、診察台に乗ってみましょう。
「え?早くない?問診じゃないの?」とちょっとびっくりしました。
後から思うと、先生はまだ稽留流産のリスクを想定していたのでしょう。
健診をすると、
9週相当の思っていたような2頭身になっていなくて、 光るはずの心臓は点滅せず、泳ぐはずの赤ちゃんはピクリとも動きませんでした。
どういうこと・・・。
いったん確認とれた心拍が確認できなくなるなんて。
意味が分かりませんでした。
ただ、ネットで、9週の壁、12週の壁、という言葉がなんやら目についていたので、私にそれが降りかかったのかということを遠くから感じました。
これは夢じゃない。運が悪いけど、現実なんだ。
続きます。
これは、不安で一週間後に行った健診、6週の時のたまちゃん(胎名)
とてもきれいな輪っかが見えて綺麗でしたが、昔よりも妊娠初期の経過が怖くて、1日、1日がとても長く感じました。でも、彼女がいたという証の素敵な思い出です。
トップ写真は、亀戸天神の藤まつり2019です。