続きです。
この画像を見た時、
前回から1週間は育ってくれたんだ、頑張ったね。でもそこからがダメだったんだね、と目で見ても分かったし、先生からも説明を受けました。初診の時見てくれた頼りがいがある副院長。反論のしようがない。
先生は、淡々と、「この時期は赤ちゃんの染色体異常でお母さんがどうしても、どうにもならなかったことで、受精時から決まっているから。ね、1週間前の大きさでしょう。心拍が動かないでしょう。体温もないでしょう」などと説明してくれました。
はあ、淡々と。泣きようがないわ。私も大人らしく、「そうですね」「そうですね・・・」と答えることしかできない。どうやら運が悪かったようだ。
当日3時間睡眠で、眠剤を飲んで2度寝を少ししてぼーっとバスに乗って向かった私。
当日は、令和元年5月1日11時からの予約。
祝日は1日と2日を病院は開けていて、どの妊婦さんも旦那さんとくるだろうなって思って、待合室が混むのが嫌で。
前回Tちゃんと心拍の確認を一緒にできたので、「今回は予定日の確認くらいだから、一人でいいよ」「でもせっかく晴れてきたらから病院終わるころにちょっとお出かけしようか、病院のほうに向かってくれる?」
と、一人でクールに病院にいたのでした。
「では、手術の説明に入ります。ご主人は?」
「え、っと、今、向かっています。もう少しで来る予定です」
ラインで、「きて」、「赤ちゃんの心臓が止まっていた」「手術の説明って」
ってだけ、打って。夫が来てから説明を受けることになった。
11時に予約をしていたけれど、やっぱり混んでいて、診察は12時くらいからで。
待合室は閑散として来ていたのがまだ幸いだった。
ぼーっとしながらも、ほろりと泣いた。
稽留(けいりゅう)流産。
初めて聞いた。ググった。
お腹の中で、赤ちゃんが出血もなく静かに亡くなって、留まっていること
心拍確認前にも起こるし、確認後にも起こるらしい。知らなかった。
診察でしか確認しようがないそうだ。お母さんは驚くものらしい。
私の場合は亡くなって一週間経っていたけれど、すぐの方だとつわりなどの症状も続いているのだから、なおさら受け入れがたいだろう。
「つわり、なくなっていたでしょう?」
そうですね、、ちょうど、「妊娠9週 つわり」で検索をするも、どのサイトにも「つわりのピークを迎えるでしょう」と書いてあるのに私は少し楽になっていて、不思議だった。体温を高めて、眠くなったり気持ち悪くなるHCGホルモンも少しきっと減っていた。だから少し楽だった。日ごとに減っていたようで。
このあと、「そうだったのね」と前には全然食べられなかった帯広ラーメンを食べられたほどだった。
夫と一緒に手術の説明を受けた。健康保険適用で、12万円くらいのものが実費2~3万円で、こちらの産院では午後14時からの日帰りでいいという。
「(ゴールデンウィークだから)一週間後くらいかな・・・」と先生が言うと、
「え?3日から旅行に行きたいのですが、旅行中に何かあったらどうなるんですか?」
「旅行はダメです。何かあったら夜間でも来てください、処置できますから」
「え、もう亡くなっているのですよね?それはこわいです、明日とか、手術できませんか?」
「それは確認してください」
と言われて、受付で確認をすると、翌日の2日に手術ができる時間が空いているとのこと。予約をし、その日の夜中から手術前までは絶食と言われた。
外に出た。お腹に、赤ちゃんがいる袋である胎嚢と、亡くなっている赤ちゃんと、それをくるむスペースを感じるけれど、前の週よりは小さい気がする。成長が止まった。
その事実を受け入れた。
母に電話をすると、「そんなことがあるの!?」と驚いていた。
母も3人産んでいるが、経験がないようだった。
家に帰り、Facebookでお知らせをすると、
私もそういう経験をしたの、というコメントをとてもたくさんいただいた。
おそらく20件以上。
そんなにみんな経験していたのだ。
私は、知らなかった。
Tちゃんと再再婚をして、そこまではうれしく。妊娠は何とも言えない心境だったけれど。めでたいことと悲しいことが一度に来たことに驚きを覚えた。
本当は、ちゃんと話し合って、「作ろうね」と言って作りたかった。
今回気持ちが不完全な私たちに、大変な思いをさせてくれた。
1ヵ月でも、親になる、どうする???
家は?きょうだいは?お金は?家事分担は?
いろんなことを考えさせてくれた。
2頭身になっていた赤ちゃんには、ふとひらめいた「たまちゃん」という名前を付けた。愛着がわいた。
「1ヵ月でも、私たちを親にしてくれてありがとう」
そういう気持ちしかないです、って思えた。
たまちゃんのことは忘れられない。
それから数日後。
ネットで見つけたこちらの本を読んだ。
すごく良くて、ボロボロ泣いた。
赤ちゃんはお空から、夫婦とお母さんを選んでくる。
その運命は、育つことも育たないこともあるけれど、その夫婦やお母さんの課題を何とかしようと、宿ってくれる。
今回たまちゃんは、
「今の2人には、まず赤ちゃんを迎える覚悟をしてもらわないとね、それからだよ」
と教えてくれたように思う。
ごめんね、ありがとう。 (?産まれることができなかった赤ちゃんから届いたメッセージ?
- 作者: 326(ナカムラミツル)
- 出版社/メーカー: サンクチュアリパプリッシング
- 発売日: 2008/09/10
- メディア: ハードカバー
- 購入: 8人 クリック: 20回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
一週間前まで、「流れたらいいのに><」って思っていたことは現実になった。
「私はずっとこの子を、『ほんとは欲しくなかったのに』って思いながら育てていけるのだろうか」と自問していた。
申し訳ないけれど、 今回は、お互いのために良かった。
それでも形になって、私たちのところに来てくれて、ありがとう。
翌日の手術後、元夫のところにいる長女と長男に電話で話すと、
2人ともとっても残念がっていて。私以外のみんなは待ち望んでくれていたことが分かった。
私は、体の回復に努めながら。
「あのマタニティブルーは体調が悪かった時のもので本当の私の本心ではない。本当は、可能なら、赤ちゃんに来てほしいんだよ。なんとかなるならなんとかしたいんだよ」
って思っていました。
そのためにも、たまちゃんは一度外に出してあげないと。
そう思って手術を受けること自体はとても前向きでした。
翌日、吸引法とソウハ法の併用で処置を受けました。
良い産院なのに、待合室は普通の妊婦さんと一緒だし、看護師さんはあまり労りの言葉はないし。術後にもあまり寄り添ってもらえなかったし。処置をした初めて見るDr.は自己紹介もないし。しょうがないのだけれど、なんだか残念だと思った。
抗生物質と痛み止めを4日分もらい、
2万円くらい払ってもらって、あっさりとしたラーメンを食べてタクシーで家に帰りました。麻酔は処置の時しか効いていなくて、術後は30分くらい陣痛のような悶絶痛がありました。中絶手術と同じ方法だそうです。
今回は、私が選択したのではなく、たまちゃんが命を選択した。
染色体異常で、ダウン症にもなれないほどの奇形のときに自然淘汰されると。
40を過ぎて卵子や精子の質が悪いと自然淘汰の確率も高まると。
そう、知りました。
手術を選択したのも、よかったようで、自然流産を待つ方針の産院で経験した方からDMをいただいたりネットで見た感じだととてもお辛いそう。
ほんの24時間の間に、しょうがないのだ、と、受け入れました。
一方、早くも、
「この悲しみを超えるためにもできるだけ明日からの旅行は行きたい」
「新婚旅行もちゃんとしていなく、この旅行をそうだと思っていたので、できる限り楽しみたい」
「良い思い出を作りたい」
「気持ちを切り替えたい」
「たまちゃんはいなくなったけれど、それによって分かった。私たちはあらためて、赤ちゃんが欲しい。」
と強く思っていて。
宿や特急券はキャンセルしても戻らないので、夜と、朝の様子を見て決めようとなった。
ロキソニンのおかげで、痛みはそこまでは感じず、カイロをして横たわる。
もう赤ちゃんがいないのだから、少しでも多く寝て早く回復したいと、安心して眠剤も飲めた。
先生が言っていたように、出血は私の場合は生理4日目くらいのものしか出ず。
生理4日目くらいのものが、4~7日ほど続くと言われた。
ここは個人差があるようだが、私の場合は本当にそれくらいだった。
先生はうまく処置をしてくれたよう。
続きます。
5,000字書いたので、たぶん、明日。
短い期間だったけどたくさん悩んだから想いは10,000字以上あります(^^)